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"断食明け"の風景 ?

なぜ彼らは断食を行うのでしょう?(実際には、なんでミキが断食するんだ、と彼らの方から訊ねられる方が多かったのですが。。)

ある人は、世の中に必ず発生する貧困のその辛さを身をもって知るため、と。ある人は、体の調子を取り戻すため、と。また、ある人からは、理由はない、断食に対しての考え方が即ちそれぞれのイスラムに対する認識そのもの、という総括的なものまで様々な言葉が出てきます。もっとも、イスラムというのは割合現実的にできていて断食の方法そのものも個人の事情や体力面などから、例えば"水だけは飲んでもよい"などカスタマイズができるのです。このようにして毎年毎年9ヶ月目に彼らはそれぞれの認識とそれぞれの方法によって体を張ってこのもっとも重要な節目を過ごします。そして新しい次の一年を身も心も空白にして望みます。断食明けが近づくとテレビの画面では"断食明けは家族そろってハンバーガーを食べよう!"といった断食バージョンのCMも流れ始め、あと少しあと少し、、といった気持ちになってくるのですが、これもまたひとつの"年末気分"でしょう。

さて、"盆と 正月が一緒に来たような"という言い回しがありますが、日の傾きかけたころお墓参りに誘われた時まさにその言葉を思い出しました。数年前に亡くなられた彼のお父さんのお墓参りです。彼の家からほんの少し歩いたところにあるイスラム墓地。彼のお父さんが眠るお墓に生前愛用されたという香水を振り、皆で黙祷をいたします。私も、いつもよりおめかしをした物乞いの女の子たちに袖やおしりを?まれながら、静かに黙祷を捧げます。

帰りも乗り合いバスです。いつもと同じくたびれた車体なのに正月料金なのか高い金額を要求するのが癪ですが、ラマダン中は空腹で不機嫌だったドライバーたちが、今日はとても柔らかい表情に戻っているので、まあ、いいだろうという気持ちです。

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